目標を持つことの弊害

ノート

「1m x 1mサイズの正方形テーブルの上に1匹の虫がいる。あなたは、30秒後にこの虫がどこにいると思いますか?」

テーブルの中心に行きたい一匹の虫

例えば、この虫が”30秒後はテーブルの中心にいたい”という目標を決めたとしよう。その虫が30秒後に、テーブルの中心にいる確率はどのくらいだと思う?

具体的な数字はわからなかったとしても、それがすごく低い確率だということはわかると思う。そして、30秒後に、その虫はテーブルの中心にいない確率の方が圧倒的に高いであろうこともわかるだろう。

一つ言えることは、虫が歩き続けてさえいれば、その虫は30秒前とは明らかに違う場所にたどり着いているはずだ。(ぐるぐる動きまわった挙句、やっぱり始めの場所に戻ろうと思わなければね。)

目標なんて立てなければ、虫は前進していて、道を歩く過程で新しい経験をしていて、30秒前とは違う自己を持っている。30秒前とは明らかに変化していて、進歩しているという認識を手に入れることができる。それが「30秒前と比べて」良いのか、悪くなったのかはわからない。良し悪しを決める基準を虫は持っていないからだ。

30秒後、テーブルの中心にいることは、テーブルの中心にいないことよりも重要なことなのだろうか。違う場所に行ったっていいじゃないか。あなたが30秒前と同じ場所に留まっていなければ。

目標よりも進歩

歩いてさえいれば、君は明らかに進歩している。

30秒後にたどり着いた場所は、30秒前には望んでもいなかった場所かもしれない。でも、そこに行ったことで、テーブルの中心にはない、何かが見つかったかもしれない。なぜ、それが失敗と呼ばれるのだろう?

なぜ、テーブルの中心に行かなかったばっかりに、失敗となってしまうんだろう?

それ以外の場所には行けたのに。

人生をコントロールできると思うのは幻想だ。人生だけじゃない。何かをコントロールできると思うのは幻想だ。複雑な世界では、すべては関係的でダイナミズムな運動をしている。私達がコントロールできるものは、そのごく一部、限られた条件においてのみに過ぎない。

それでも、人が目標を立てたがるのは、未来への恐れなのだと思う。

「先がどうなるか全くわからないなんて怖くてしょうがない。せめて、テーブルの中心あたりにいるだろうという見通しが欲しいのだ。そうすれば、安心感が得られるから」

脳は予測できないことを怖がる。過去のパターンを基にした推測ができないとき、いろいろ考えなきゃいけなくて、エネルギーを使う。それよりも、過去のパターンを引っ張り出す方が脳にとってはコストが低くて、楽だ。

目標ではなく、方向を見ること

目標による管理というのは、物事を実現するための一つの指標にすぎない。限られた範囲では効果的に機能するかもしれないが、より大きな範囲や複雑な関係性を含めた時に、目標や計画だけではコントロールできないことがこの世界にはたくさんある。

新しいことを始めるとき、未知のことを始めようとするとき、できることは、せいぜい「あっちの方向に行く」と決める程度のことだ。

「最終的なゴール」さえ見失わなければいいんだ。30秒後その場所にたどり着いてみて、テーブルの中心を一瞥し、その方向に歩き続けたら、30秒後にまた同じ事を繰り返せばいい。未開の地に行こうとする人は、地図は持っていない。ただ、コンパスを持っている。あなたがコンパスを持ち、歩いたことを記録することで、初めて地図が生まれるんだ。

目標や計画を信じ過ぎないことだ。30秒前に決めた自分の目標が達成できなかったからといって、何も得られずただ失敗したなんて、思わないことだ。30秒毎にゴールの方向を1回だけ見て、30秒歩くことを楽しめ。それを繰り返してさえいれば、気づいたら君はテーブルの中心に着いているだろう。

目標を決めた瞬間に、ほとんどのことは失敗する確率の方が高いということをよく覚えておいて欲しい。見るべきことは失敗したことではなく、その道のりで何を得られたか、なんだよ。

この記事を覚えておきたいときは、お好きな方法で保存できます。

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