結城浩さんが連ツイで、実家に引きこもっていた時代の体験談を綴っている。
結城浩さんが引きこもり時代に生み出したもの
私には数年、実家で引きこもっていた時代がある。何も出来ず、ただ家にいた。当時はネットも発達していない。ほんとに朝起きて寝るだけの生活だった。プログラマになる直前の頃。朝起きて、夜寝る前まで、コンピュータとだけ対話していた。
そんな引きこもっていた結城さんが何をしていたかというと、
ありあまる時間を使って私はタイピング練習ソフトを作った。
このタイピングソフトを使って、当時60歳近かった結城さんの母はタッチタイピングを覚え、結城さんに次のように言ったそうだ。
「浩ちゃんのおかげで、タイプができるようになったね!」
この一言は、そう簡単に言える言葉ではない。将来の見通しも保証も何もない20代の健康な息子が何もせずに家にいて、一日中コンピュータに向かっている状況でこういう言葉をかけられる人がどれほどいるだろうか。
一番始めに与えたいもの
世界でたった一人でも理解者がいれば、たった一言でも愛ある言葉を伝えられたら、人間は生きていける。そういうタイミングがある。すごくすごくつらいときの「応援してるよ…」の一言が、効くときがある。
世界から切り離されて孤独で仕方がないときの「私はあなたのことを思っているよ」というメッセージが救いになることがある。時間、なのだ。いますぐに全部できなければお前はダメだ!というのではない。時間、なのだ。いまはぜんぜんダメ。でもやがて。でも、いつかきっと。
いつかきっと、現在の姿からは想像もつかないような素晴らしいことが起こるよ。時間はかかるかも知れないけれど。私は引きこもっていた時代はつらかった。でも自分では何もできなかった。そのときの母の一言「浩ちゃんのおかげでタイプができたよ」はどれほど大きかったか。
プロデュースや、新規事業開発にもこれと酷似する部分がある。
多くの場合、始めの個人のアイデアは誰にも見向きはされない。大きな実績があるわけでもなく、何かカタチになったものがあるわけでもない。人の役に立つような公共性や成長性があるかどうかもわからず、ただ、1人の人間が「これをやりたい・これを実現したい」と頭の中で思っているだけなのだから。
それでも、その人はその時できることを頑張り、何かをカタチにしようと、一人で活動を続けながら、知人や友人に協力を仰ぐ。その中でいくばくかの人達が手伝ってくれたとしても、実際のところ、本当にあなたが必要とするようなチカラにはならないことが大半だ。
なぜなら、このような方法での協力は、厳密には彼らと利害関係を共有していない(できない)からだ。もっと簡単に言うと「同じ釜の飯を食べていない」とも言える。
アイデアを実現したいというあなたの熱量や動機と、あなたが困っているのを見てそれに協力する人達の間には、どうしても大きな温度差が生じる。
アイデアを事業として他者の目に見えるカタチにするには、手間も労力も時間もお金もかかる。一朝一夕では実現できない。その道程では、なかなかうまくいかなかくて不安に支配されることもあるし、自分の小ささや無力感に打ちのめされそうになるときもある。
アイデアを実現したいクリエイターや起業家にとってまず必要なのは、どんな状況でも自分を信じてくれる人の存在であり、その人の存在が大きなチカラになる。そして、そこから何かが生まれる。
私自身の経験から、これは創造の原理原則だと思っている。だからこそマテリアライザーは、たった一人の個人の実現に協力する初めての協力者でありたいと思っている。
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