「さあ、クイズの時間だ!」
大学教授は、そう言って大きな壺を取り出し、教壇に置いた。その壺に、彼は一つ一つ石を詰めた。壺が一杯になるまで石を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」
教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」
そう言いながら教授は、教壇の下からバケツ一杯の砂利を取り出した。そして砂利を壺の中に流し込み、壺を振りながら、石と石の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」
学生は答えられない。一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。それを石と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれで一杯になったのか?」
学生は声を揃えて、「いいや」と答えた。教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと水を注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか?」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う。」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、大きな石を先に入れない限り、それが入る余地はその後二度とないということなんだ。」
君たちの人生にとって”大きな石”とは何だろう、と教授は話し始める。
「それは、仕事であったり、志であったり、自分の夢であったり……」
「ここで言う“大きな石”とは、君たちにとって一番大事なものだ。それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君たちはそれを永遠に失う事になる。もし君たちが小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしたならば、君達の人生は重要でない何かに満たされたものになるだろう。」
「そして大きな石、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果、それ自体を失うだろう。」
徒然草 第188段 習っているうちに年老いた人の話
吉田兼好の徒然草第188段に、法師になったときに便利だと思って、乗馬と早歌を習っているうちに年老いてしまった人の話がある。
若きほどは、諸事につけて、身を立て、大きなる道をも成じ、能をも附き、学問をもせんと、行末久しくあらます事ども心には懸けながら、世を長閑に思ひて打ち怠りつゝ、先づ、差し当りたる、目の前の事のみに紛れて、月日を送れば、事々成す事なくして、身は老いぬ。終に、物の上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔ゆれども取り返さるゝ齢ならねば、走りて坂を下る輪の如くに衰へ行く。
人生の時間とは有限なものです。
あなたの人生にとって最も「大きな石」とは、何でしょうか?
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